以前のご様子はこちらから( ・ω・)つ
正式に保存されることが決定しておよそ半年、ついに作業が完了し再び顔を見せました。
野ざらしだった状態から簡単な保護をされ、今度は立派な額をもらって帰ってまいりました(*´ω`*)
垂れ落ちていたペンキの後もきれいさっぱり補修されていますね!
(「よ」と「町」の間の「ら」が一番見やすいかと)
思わぬ発見があっても計画通り工事を行うのではなく、こういった形で保存する粋な計らいに感謝です。
ただし長い歴史の間にはもちろん紆余曲折がありまして。
一見きれいな一枚絵に見えるこの駅名標ですが、実際にはこの塗装の浮き上がりがない一部分が欠けた状態で発見されました。
広告の裏で隠れていたがために気付かれることなく、一部が配管工事で切りつかれていたんですね…。
遠目に見ると気づかないほど見事な復元がなされていますが、近くで見るとこの通り。
さすがに当時の職人さんが存命であるはずもなく、マジックペンかなにかでなぞられたような雑な筆跡になっています(´・ω・`)
ひときわ目立つ黒い立派な額の左下には彼の功績がつづられています。
駅名標上にうっすらと残る右横書き(右から左への駅名表記)の形跡などから、駅名標自体は、昭和7年(1932年)の駅開業当時に設置された可能性があり、昭和20年(1945年)の大阪大空襲等の戦火をまぬがれ、戦前の姿をそのまま残す形で、終戦後まもなく左横書き(左から右への駅名表記)に書き換えが行われたと考えられます。平成28年(2016年)5月西日本旅客鉄道株式会社
思わぬ形で出てきた寺田町駅のすべてを知る彼はこれから寺田町の顔として、そして本来の仕事である「駅の名を知らせる標(しるべ)」としてさらに活躍することでしょう。
技術も魅せ方も幾分変化し、工夫の凝らせる限りを尽くした“新入り”よりも、数十年ぶりに現役復期したばかりの古参の方が目立つという偶然…これもアリですかね(*´∀`*)
それでは~