続、寺田町の駅名標

以前のご様子はこちらから( ・ω・)つ


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数多の改良工事を経、さらに大空襲の戦火を逃れ、ずっと寺田町駅を見守り続けてきたあの寺田町の駅名標が。

正式に保存されることが決定しておよそ半年、ついに作業が完了し再び顔を見せました。


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ざらしだった状態から簡単な保護をされ、今度は立派な額をもらって帰ってまいりました(*´ω`*)

垂れ落ちていたペンキの後もきれいさっぱり補修されていますね!



以前もご紹介した通り「天王寺区」の「区」が旧字体だったり、よくよくみると右書きだった時代の裏地も垣間見えたり…。
(「よ」と「町」の間の「ら」が一番見やすいかと)

思わぬ発見があっても計画通り工事を行うのではなく、こういった形で保存する粋な計らいに感謝です。


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ただし長い歴史の間にはもちろん紆余曲折がありまして。

一見きれいな一枚絵に見えるこの駅名標ですが、実際にはこの塗装の浮き上がりがない一部分が欠けた状態で発見されました。

広告の裏で隠れていたがために気付かれることなく、一部が配管工事で切りつかれていたんですね…。

遠目に見ると気づかないほど見事な復元がなされていますが、近くで見るとこの通り。
さすがに当時の職人さんが存命であるはずもなく、マジックペンかなにかでなぞられたような雑な筆跡になっています(´・ω・`)


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ひときわ目立つ黒い立派な額の左下には彼の功績がつづられています。


 寺田町駅は、昭和7年(1932年)に当時の城東線が高架化され、同年7月に天王寺駅桃谷駅間に開業し、その後、昭和36年(1961年)4月の大阪環状線開業に伴って大阪環状線の駅となりました。
 本駅名標は、平成27年(2015年)8月、駅開業工事中に偶然発見されました。幾度の駅改装を経ながら、ホーム壁に手書きされた駅名標が現存するのは全国的にも極めて珍しいと言えます。
 駅名標上にうっすらと残る右横書き(右から左への駅名表記)の形跡などから、駅名標自体は、昭和7年(1932年)の駅開業当時に設置された可能性があり、昭和20年(1945年)の大阪大空襲等の戦火をまぬがれ、戦前の姿をそのまま残す形で、終戦後まもなく左横書き(左から右への駅名表記)に書き換えが行われたと考えられます。
 寺田町駅駅名標の歴史を物語る重要な史料であり、長きにわたり大阪環状線を見守ってきた貴重な鉄道遺産として、ここに保存することとしました。

平成28年(2016年)5月


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思わぬ形で出てきた寺田町駅のすべてを知る彼はこれから寺田町の顔として、そして本来の仕事である「駅の名を知らせる標(しるべ)」としてさらに活躍することでしょう。


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本来あの場に設置される予定だったであろう総合案内の載った駅名標はというと、階段を挟んだ向こう側、天王寺方の壁に設置されています。

技術も魅せ方も幾分変化し、工夫の凝らせる限りを尽くした“新入り”よりも、数十年ぶりに現役復期したばかりの古参の方が目立つという偶然…これもアリですかね(*´∀`*)


それでは~


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