Kantetsu97さんの記事(http://blogs.yahoo.co.jp/kantetu97/31169742.html)に触発されて、つい撮影に行ってしまった(笑)
路地の歴史への標
Kantetsu97さんの記事を見て、「これとは違うもう一つがあったような…」という気がしたので、少し見に行ってみました。
場所は針中野駅から徒歩5分くらいの場所で、中野中学校の通学路となっているので、夕方は人通りが多いです。
近くには、大阪南部地域ではかなり有名な鍼療院があります。
一応ですが、ついでに「針中野」という地名の由来も知って言っていただければ幸いです。
その際、地元でも有名だったこの鍼療院が、針中野駅の大部分の土地を大阪鉄道に寄付しました。
商店街もそれほど大きくない、普通の住宅街だった「中野町」に変化が起きます。
鉄道が開通したことにより、駅前の商店街はみるみる成長し、定期券で買い物へ行く方もいられたそうです。
実は、針中野駅を高架化する際、100メートルほど矢田側に移設しようとしたのですが、地元の商店街の反発で無くなったという話もあります(笑)
というのはさておき、この鍼療院を営んでいたのは「中野」だったことから、「針」を扱う鍼療院とかけて「針中野」という駅名ができました。
この「針中野」という地名は、某関西ローカル深夜番組でも取り上げられるほど有名な話です。
個人の名前で駅名や地域全体の名前が変わるというのは全国的にも珍しく、また、いまも鍼療院は残っています。
裏には、建設された時の年月日が描かれています。
「大正三年四月」と、今でもはっきりと書かれていることが確認できます。
この道標ですが、一つではなく、もう一つ、すぐ隣の交差点にあります。
全景です。
「→はりみち」の通り、ここを右に曲がるとその鍼療院の前に来ます。
なお、実はこの道標が示しているのは「南海平野線駒川駅」です。
針中野への道標がないのは少し残念です…
もう一つは、Kantetsu97さんの記事でも紹介されているものです。
左右でわかれているもので、左に行くとさっきの道標に、右へ行くと阪神高速の高架沿いに出ます。
その阪神高速こそが、南海平野線の跡なんですけどね(笑)
下部は埋まっていて、少し残念です。
←はりみち でんしゃのりば→
と書かれています。
全景です。
一応、5差路の部分に立っています。
こうやって見ると、どちらも普通に道路を走ってると全く気づきません。
周辺は異様に石が置いてあるので、紛らわしいです。
おばあちゃん曰く、「この交差点にはもう一つあったはず」とのことですが、もしかしてこれ?
しかも、これも紛らわしいことに、いくつも同じ交差点にこういうものがありどれかはわかりませんでした。
というわけで、小さな歴史探索はこれで終わりです。
それでは~